2024年パラリンピック初出場が内定した小田ときとさん。
小田さんが車椅子生活になったのは9歳の頃左足に骨肉腫が見つかったことが原因です。
今回は小田ときとさんはどんな人物なのか?車椅子生活のエピソードなど調査しました。
【パラリンピック】小田ときと選手内定
小田選手の今の一番の目標は、パリパラリンピックでの金メダル獲得です。
1月の全豪オープンで初優勝を果たし、世界ランキング1位に返り咲くなど、目標達成に向けて弾みをつけた小田選手。
「車いすテニスを盛り上げて、もっとメジャーなスポーツにしたい」と語っています。
誰も到達したことのない高みを目指している小田選手を心から応援します!!
小田凱人 Wikiプロフィール
名実共に、車いすテニス界のトッププレイヤーとして国内外から注目されている小田ときとさん。
そんな小田さんのプロフィールを見てみましょう。
名前:小田凱人(おだ・ときと)
生年月日:2006年5月8日生まれ。
出身地:愛知県出身。
9歳のときに骨肉腫になり車いす生活に。
10歳から車いすテニスを始め、数々の偉業を最年少で達成。
2023年:全仏オープンでグランドスラム史上最年少優勝(17歳1か月2日)
2023年:最年少世界ランキング1位(17歳1か月4日)を達成ウィンブルドンも制覇。
所属:東海理化所属。
世界シニアランキング1位、世界ジュニアランキング1位(2024年4月15日現在)。
車椅子生活になったのは左足の骨肉腫
小田凱人さんが左足に違和感を感じたのは小学3年生になる前の春休みだったそうです。
サッカーの練習中に左股関節付近に痛みを感じたそうです。
運動会のリレーにどうしても出たかった小田さんは痛みがあっても我慢し続けました。
運動会を終えた小田凱人さんはあまりの痛みで、体を曲げて靴下が履けなかったため病院を受診。
検査の結果、くだされた診断は左股関節の悪性骨肉腫で即、入院となったそうです。
その後、左脚の股関節と大腿骨を一部切除して人工関節を入れ、左の腹直筋を切り取って太ももに移植するという大手術を受けることになった。
人工関節にしたことで、左脚が不自由になってしまったことは本当につらかったと語っています。
パラスポーツの道へ導いた担当医
サッカー選手を夢見ていた小田選手ですが、テニスの道へ進んだのは担当医の勧めがあったそうです。
何より、サッカー選手の夢は諦めざるをえなくなったことに落ち込みましたね。でも、僕の夢を知っていた担当医が、障害のある人が行うパラスポーツの存在を教えてくれたのです。そこから「足が不自由でもできることはあるのか」と、入院中にパラスポーツ動画を夢中で観続けました。 その中でビビッときたのが、ロンドンパラリンピックの車いすテニスで金メダルを獲得した国枝さんの試合。とにかくかっこよかった。すぐ両親に、「車いすテニスをやってみたい」と言いました。親はなぜか、車いすバスケをやってほしかったようで、驚いていましたけど。
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