首相官邸と非常に近い距離感の政治評論家である田﨑史郎さん。
田﨑史郎さんは政治ジャーナリストとして特に政局の動向に詳しく、異色のジャーナリストです。
田﨑史郎さんは学生時代、成田闘争(三里塚闘争)に参加した波乱万丈の人生だったとか?
今回は田﨑史郎さんの学歴や経歴など調査しました。
田崎史郎さんの学歴や経歴は波瀾万丈
政治評論家の肩書でワイドショーのコメンテーターとして登場する田崎史郎さんぼ経歴が波瀾万丈だとか?
田崎史郎さんは、福井県でトップレベルの高校を卒業されており、その後の経歴も気になりますね。
今回は田崎史郎さんの若い頃の様子や学歴、経歴をみてみましょう。
高校は偏差値71の高学歴
田崎史郎さんは、福井県内の全高校99校中1位の偏差値71の県立藤島高校を卒業しています。
田崎史郎さんはやはり頭の回転が速く、勉強も頑張れるとても優秀な方という事がわかります。
有名な卒業生としてはノーベル物理学賞受賞者の南部陽一郎さん歌人の俵万智さんなどが有名です。
大学は法律家目指し中央大法学部へ
その後上京して中央大学法学部法律学科へ進みました。
かなり頭のいい方のようで法律家を目指していたものの途中で断念することになったそうです。
成田闘争(三里塚闘争)に参加して逮捕
田崎さんは法律家を目指していましたが、司法試験の難関を目の当たりにし、断念します。
「中央大学では、4年間で司法試験に合格する人の割合が少ないんです。それを知ってから『多分ダメだろう』と悟り、入学数カ月で断念。そのあとは、三里塚闘争に参加し、2年生の春に逮捕されました。それで就職活動の時期に『さて、どこに入ろう。商社や銀行みたいな普通の会社には入れないだろうなあ』と迷うことに。気が利く会社は警察に逮捕歴を問い合わせていたでしょうからね」
引用元:日刊ゲンダイ
大学2年の時、あの成田空港反対運動で有名な成田闘争(三里塚闘争)に参加しています。
その際、凶器準備集合罪で逮捕され、13日間拘留されていました。
その時代、過激なデモやバリケードを作って反対運動をするなどしていたと言います。
現代の大学生には考えられないほど、当時は学生運動が盛んだったようです。
実力で新聞社と通信社2社に合格
しかし、ご本人の実力で1973年に日本経済新聞社と時事通信社を受けて、時事通信社に入社が決まりました。
新聞社と通信社2社に合格するほど頭がよく、強い信念を持った方だったんでしょうね
田崎史郎さんの経歴
田崎史郎さんの経歴は以下の通りです。
1950年 0歳:福井県坂井郡にて誕生する。
1973年23歳:時事通信社に入社。
1982年 32歳:平河(自民党担当)記者クラブで田中角栄元総理が率いる田中派を担当。
1993年43歳:政治部次長に就任。
2006年46歳:編集委員、整理部長、編集局次長を経て、解説委員長に就任。
2015年65歳:特別解説委員に就任。
2018年68歳:時事通信社を退職しフリーランスの政治評論家として活動。
田﨑史郎のプロフィール
田﨑史郎 (たざきしろう)
生年月日:1950年6月22日
出身:福井県坂井郡三国町
職業:政治評論家
主な出演番組
モーニングショー
ひるおび!
ウェークアップぷらす
報道1930
サンデーLIVE!!
めざまし8
田崎さんは出演本数も多いですね。
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